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私の本業であるnTech(認識技術)によって変化した人たちが熱く語るアモールファティ祭
今回のテーマは 生死 でした
どんな人間であれ通過する「生老病死」
「死」についての感情・解釈も様々だと思います。
強烈に恐怖感があった人
漠然として何のイメージもない人
客観的にみている人
虚無になる人
望んでいる人
過去の私は「死」への恐怖はなく、「生」に対する執着もありませんでした。
間違った身体で生まれ、生まれた瞬間が1番の絶望だった自分にとって
誰にも理解されないまま生きる人生に対し、10台半ばで既に諦めがありました。
生きることは苦しいけど、死んだら親に迷惑がかかる
どうやったら最善に死ぬことができるのか、そんなことばかり考えていた中学1年生。
中学二年生のとき。
1999年7月 世界が滅びる
ノストラダムスの大予言だけが生きる希望でした。
みんないなくなれば、誰にも迷惑がかからない。
そんな希望も虚しくカレンダーは8月になり、希望を失った私は結局自殺を決意し、実行。
結果失敗に終わって目を覚まし、母の愛情に触れ、2度と自殺はしていけないと誓う。
死ぬことができないから生きる。
そんな私は、異常なまでに「存在意義」を探していました。
生まれた意味が分からず
誰かに必要とされたくて
私がここにいる理由を知りたくて
倫理・哲学・心理学・スピリチュアルなど、思いつくものを手当たり次第に模索しました。
それでも、学べば学ぶほどわからなくなり、最後にたどり着いたのがnTechでした。
生きながらに死んでいること
生まれたこともなければ、死ぬこともないこと
すべての束縛から自由になり、境界線がないところから境界線を生み出すポジションになることで
執着もしないし、思いっきり熱くなることもできる
そんな生き方が可能になり、揺るがないアイデンティティと使命を決断できました。
先日見かけた、中学1年生の男の子が大人に絶望し、自殺をしたというニュース
何も変わらない教育環境、信頼できない大人たちに対して、中学生が岸田総理に宛てた手紙には
助けてください。
他人事にしないでください。
未来を照らしてください。
この世界を変えてください。
お願いします。
悲痛な声が叫ばれていました。
同じ年頃で自殺未遂をした私にとって、どこまでも突き刺さる言葉。
教育を変えなければならない。
世界に絶望し、生きる意味がわからないこどもたちのためにも
私は絶対に世界を変えてみせる、だから待っててと
心に誓っています。
この想いに共感できる人たちと
共に新しい日本をつくりたいです。
次回のアモールファティ祭は5月20日(土)
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