こんにちは、福岡に住むトランスジェンダー(FTM)の明楽です。
今回は私がメインに取り組んでいる観点の問題に関わる
無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)について話します。
その前に、いい例なのでLGBT当事者を中心に話題になっている映画
バイバイ、ヴァンプ!
について触れたいと思います。
さて、この映画のあらすじをざっと紹介。
高校に通う2年生の小日向京平(寺坂頼我)は、同級生と毎日仲よく過ごしていた。
ある日のこと、京平の小学校からの親友である吾郎が何やら怪しい人影に襲われてから状況は一変する。
翌日、女好きの吾郎が、突然女装した同性愛者となってしまい、クラス中で大騒ぎになってしまう。
巷では「この町にヴァンパイアが出現している」と噂されている中、京平たちは、吾郎を噛んだのがヴァンパイアで、ヴァンパイアに噛まれると同性愛になってしまうのではないか?と考え始める。
引用:バイバイ、ヴァンプ!公式サイトより
同性愛を”感染”として表現されている作品です。
東京と大阪で上映されているようですが、予告が出るや否や批判の声が殺到しています。
制作側の意見として、公式サイトには下記のように記載があります。
この映画には一部、同性愛の方々に対し不快な思いを抱かせる表現が含まれているかもしれませんが、同性愛を差別する作品ではありません。
愛とは自由であり、人それぞれの愛が尊重されるものであるというテーマのもと、製作されました。
それは綺麗事だけではなく、愛を貫くためには乗り越えなくてはいけない壁もあります。
つくった側の観点として、同性愛を差別するつもりはないと主張されていますが、作品の内容をみた同性愛当事者たちが明らかに嫌悪感や不安を抱くのであれば、しっかりその言葉は受け止めるべきだと思います。
少なくとも、私は同性愛当事者ではありませんが、この作品に対して嫌悪感を抱いています。
愛を貫くために乗り越えなくてはいけない壁とはいったい何のことをさしているのでしょうか。
実際に作品内で表現されている
「同性愛に走るわけにはいかない」
「あいつは正真正銘のホモだ」
「俺は死んでもソッチにはいかない」
など、世の中の揶揄を乗り越える壁と言いたいのであろうか。
もしそうなのであれば非常に悲しいことであります。
このような表現が浮かぶこと、そしてそこに違和感を持たないこと自体が、偏見に満ちている証拠だからです。
もちろん故意的な偏見ではなく、無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)である可能性は高いでしょう。
作品に対しての意見を、一般社団法人fair代表理事である松岡宗嗣さんがまとめていますのでぜひこちらをご覧ください。
無意識の偏見というのは、反射レベルで出てきます。
男性同士の結婚指輪をつけた手が重なり合っている写真。
上記の写真をパッと見た瞬間に違和感を持つのであれば、間違いなく偏見があります。
結婚は男女でするものであり、男性と女性の手が重なり合っているものが常識と思っています。
勘違いしないでほしいのは、偏見を持っていることが悪いと言っているわけではありません。
誰もが自分の中に自分の常識があって、偏見を持たない人はいない。
自分がどんな偏見を持っているかを自覚していないことが問題 なのです。
自分の常識を理解せず、それが一般的にも常識であると思い込んでいたら人の話なんて全然聞くことができません。
少しでも多くの人がこの問題に気付いてほしいです。
そしてマインドームインストラクターとして、どんな無意識の偏見を持っているかを発見することに貢献できたら幸いです。